前々回『企業内法務の交渉術』を紹介した際に、『交渉学的な観点から見た場合、現在の一般的な交渉に関する考え方等を他の交渉学に関する本で補う必要がある』という話をしました。


交渉関連の書籍の中で、私が折に触れて読み返しているのは、『戦略的交渉入門』(日経文庫)です。


この本、新書で読みやすい本ですが、内容はかなり充実しています*1

例えば、交渉に対する3つの誤解として、次の3点をあげています*2
① 交渉は勝ち負けという誤解
② 準備は無駄という誤解
③ Win−Win交渉を目指すのが交渉学だ、という誤解

このうち、①と②については、そのとおりだとか、知っている、という方は多いように思いますが、③の「Win−Win交渉を目指すのが交渉学」というのは誤解だと言われると、驚かれる方も多いのではないでしょうか*3

また、本書では、第4章「交渉戦略を立案する − 事前準備の方法論」においては、5つのステップに沿って実際に交渉戦略を立案する方法を説明しており、第5章「交渉をマネジメントする」においては、立案した交渉戦略に基づいて、交渉を始め、実際の交渉の現場で起こることをどのようにマネジメントしていくのか、様々な交渉戦術への対応方法を説明しており、第6章「最高の合意を作り出す交渉の進め方」においては、「賢明な合意」をするための方法が説明されています*4


ところで、『企業内法務の交渉術』では、『ビジネスにおける「交渉」は「戦争」ではなく「陣取り合戦」』として、お互いに納得のできる「交渉の落としどころ」、つまり、「交渉の結果、譲歩や妥協ができるぎりぎりのポイント」を探すことを重視していましたが、本書では、次のように「落としどころ」さがしのリスクを指摘しています。
「落としどころ」という言葉それ自体が持つ、落としていく、すなわち譲歩していくというイメージを我々はメタファーと呼ぶことがあります。
交渉では本来考慮していてはいけないメタファーに引きづられて意思決定をしてしまうと自分に不利な状況を作り出してしまうのです。
「落としどころ」という言葉を使い慣れてしまうと、合意だけはすぐにできるものの、今ひとつ結果が出ない、という状況に陥ります。上手く合意したと思っていても、後になって「全然、利益が生み出せない」という状況に陥ります。



さて、本書の最終章第7章「対立を乗り超え コンフリクト・マネジメント」の「11 教養としての交渉学」おいて、交渉力とは、
① 対立にあわてずに、適切に自己主張し、相手の価値を理解する努力を継続する
② 表面的な態度や、脅し、ごまかしに惑わされず、真意を見抜き、毅然と対応する
③ 交渉相手の圧力に屈して容易に譲歩せず、時には、意見の対立を恐れず議論し続けることができる
④ どれほど対立的な状況が深刻化したとしても、最後まで対話による問題解決をあきらめない
という四つの交渉姿勢をあらゆる状況下で維持することができる能力
を意味する、としています。

このように交渉力とは、対話による創造的な問題解決の力であり、交渉においてはもちろんのこと、社内調整や仕組み作りといった他の仕事において、創造的な問題解決が必要なときに役立つ力です*5


<評価> ☆☆☆☆☆
交渉学を始めて学ぶ方から、基礎を確認したい交渉経験豊富な方まで。


<脚注>
*1 この本に書かれていることだけでも、実際に交渉の現場で使いこなせるようになるためには、かなりの修練が必要だと思います。
*2 第1章「交渉を失敗させる三つの誤解・交渉を成功させる三つの原則」と第2章「感情と心理バイアス、そして合理性」においては、特に心理学的知見が生かされています。このように本書では、交渉学の一般的な方法論に加えて心理学や様々な隣接領域の研究成果、実際の交渉事例が取り入れられています。
*3 交渉学といえば、ハーバード流。ハーバード流といえば、Win−Win交渉。ですが、最近では、Win−Win交渉への批判もあり、それほどWin−Winを強調しないようになってきています。
*4 「賢明な合意」とは、「当事者双方の正当な要望を可能な限り満足させ、対立する利害を公平に調整し、時間が経っても効力を失わず、また社会全体の利益を考慮に入れた解決」のことです。
*5 交渉学は、仕事だけでなく、日常生活、例えば家族における創造的な問題解決の方法としても活用できます。