前回前々回と定量分析の必要性についてお話をしましたが、決して定量分析が万能なわけではありせん。定性分析に限界があるように、定量分析にも限界があります(ある意味、当たり前ですが・・・。)


例えば、イノベーティブなことを行う場合や新規事業を行う場合など、不確実性の高い案件における定量分析の限界を紹介します。

「投資価値評価がもたらす三つのバイアス 財務分析がイノベーションを殺す」*1

ここでは、ある事業について投資を行うべきかどうかを、NPV*2を使って評価する場合を例にあげて説明したいと思います。

NPVを使って投資評価をする場合に、イノベーションを促進するという観点や中長期的な視点が抜けてしまうと、以下のような問題を引き起こしてしまう可能性があります。
① 投資をしなかった場合の評価(DCF法の誤用)
② 保有資産による競争可能期間の評価(イノベーションコストに対する誤解)
③ 会社の長期的な健全性の評価(EPS*3重視の弊害)

以下、もう少し具体的に説明したいと思います。

① 投資をしなかった場合の評価(DCF法の誤用)について
比較の対象は何か?比較対象の評価の前提は正しいか?という問題です。
投資の意思決定をするとき、DCF法を利用してNPVを算出し、当該プロジェクトに投資した場合を評価しますが、その際に、当該プロジェクトに投資しない場合と比較検討することになります。
しかしながら、この当該プロジェクトに投資しない場合の評価というのは、「投資をしなくても現在の健全な状態が永続的に続く」ことを前提にしています。
ところが、『投資しないことで生じうるキャッシュフローは、たいてい現状維持ではなく、非線形な業績の低下』、つまり、投資をしない、ということは、「イノベーションへの投資の総量が競合他社よりも少なくなる」可能性があり、その結果、競合他社の持続的かつ破壊的なイノベーションへの投資により、自社の業績低下が急激に生じる可能性があることを忘れて評価をしているということです。
したがって、投資を評価する際は、当該プロジェクトに投資した場合の評価だけでなく、投資をしなかった場合の最悪のシナリオ、すなわち、競合他社による破壊的なイノベーションによる業績の低下と比較し、イノベーションへの継続的な投資という観点からも投資を評価する必要があることになります。

② 保有資産による競争可能期間の評価(イノベーションコストに対する誤解)について
過去の成功に必要だった資産(ケイパビリティ)だけで、将来の成功は保証されるのか?という問題です。
DCF法を利用して投資の意思決定をすると、一般的に、全く新しい技術や設備等を得るための新規投資をするよりも、既存の技術や設備等の資産を活かす、もしくは活かすための追加投資をする方が、収益性が高く算出されます。
つまり、既存の資産の有効活用(追加投資は行わない)もしくは既存資産への追加投資を行うという判断をしてしまう傾向が強いということです。
このように投資評価の際に、固定費や埋没費用を最小化しようとするバイアスがかかり、また、限界費用の最大化を目指す、という戦略を採用した場合、中長期的には、平均コストを最小化するという戦略を放棄することになります。
その結果、既存大手企業は、新技術を導入した新規参入企業に、低価格帯において価格競争に負け、新規参入企業の地道な品質改善により、高品質高価格帯においても質と価格のバランスで負け、市場を失ってしまうといったことが生じる可能性が高まります。
したがって、投資を評価する際は、保有資産による競争可能期間という観点からも評価を行い、保有資産では競争力がない、つまり、将来の競争のために新しい技術や設備等の資産(ケイパビリティ)が必要と判断した場合には、固定費と埋没費用の最小化という観点を捨てて、新規参入企業と同じ方法、同じ視点(全部原価=限界費用)で考え、『イノベーションに必要なコストとして投資評価をすべき』ことになります。
ところが、投資評価を定量的な分析しかも財務上の観点のみから行う場合、が指摘したイノベーションのジレンマに陥る可能性が非常に高くなります。
このように投資評価は、財務上の判断だけですべきでないときがあり、長期的な競争力を維持するための投資とは何か?という観点から、経営戦略上の判断を加味し、経営戦略と財務戦略とを統合して考える必要があります。

最後に、③ 会社の長期的な健全性の評価(EPS重視の弊害)について
投資評価は何のために行うのか?短期的なEPSの上昇のために行うのか?という問題です。
会社の長期的かつ持続的な成功には、イノベーションが不可欠であり、そのためには、イノベーションへの投資が必要であることは多くの方が納得されることだと思います。
しかしながら、多くの経営者は、短期的な株主価値の増大という責任を負わされ、また、短期的な株主価値の増大に向けた各種のインセンティブにより動機付けされることにより、過度なEPS(Earnings Per Share / 一株当たり利益)重視の経営を行う傾向が強まっています。
その結果、経営者は、会社の長期的な健全性を二の次とし、すぐには見返りの期待できないイノベーションへの投資を行わないことを正当化するために、上記①で見てきたような、DCF法を誤用してNPVを算出して、投資評価をします。そして、経営者は、短期的な企業価値の向上に結びつかない投資は行わない、という意思決定をするようになります。
このような意思決定を避けるためには、イノベーションを促進するか、という観点からも経営者を評価する必要があり、具体的には、EPSが上昇した原因が、イノベーションによるものなのか、それとも自社株買いのようなイノベーションとは無関係なものによるものなのか、また、EPSが下降した原因が、イノベーションを促進するための短期的なものなのか等を判断し、評価することによって、経営者がイノベーションを促進するための投資を行いやすい環境を整えなければなりません。

法務知財部門を含むスタッフ部門は、定量分析を経営者の意思決定に資料とする場合には、経営者が陥りやすい罠に陥らないための工夫、すなわち、中長期的な視点から、経営者の意思決定に資する資料を作成し、提示する必要があります*4


<脚注>
*1 Harvard Business Review 2008年9月号の「投資価値評価がもたらす三つのバイアス 財務分析がイノベーションを殺す」という クレイトン・M・クリステンセン(ハーバード・ビジネススクール教授)、スティーブン・P・カウフマン(ハーバード・ビジネススクール上級講師)、ウィリー・C・シー(ハーバード・ビジネススクール上級講師)が執筆された記事を私なりにまとめてみました。
*2 NPV(Net Present Value)とは、投資を決定するための評価指標の1つで、投資する対象の事業、プロジェクトが生み出すキャッシュフローの現在価値(DCF Discounted Cash Flow)の総和のこと。NPVが大きいほど生み出す価値が大きくなり、異なる条件の投資案件を単純比較できます。
*3 EPS(Earnings Per Share)とは、当期利益を発行株式数で割ったもので、1株当たり利益のこと。1株に対して最終的な当期利益(当期純利益)がいくらあるかを表します。
*4 結局のところ、定性分析だけでなく定量分析を行い、定量分析については、例えば、イノベーションを促進するか、といった会社の中長期的かつ持続的な成功に資するか、という定量分析の限界を踏まえた観点を加味して、経営者に意思決定を求めていくことが重要だと思います。