前回に続いて、一橋大学イノベーション研究センターのセンター長である延岡健太郎教授の『価値づくり経営の論理―日本製造業の生きる道』(2011)についてです。


本書の後半部分から、具体的な話が多くなり、より実用度が増していきます。特に、第5章から第8章にかけてのテルモ、住友スリーエム、ディスコ、キーエンスの話は、色々と勉強になりました*1

延岡教授は、『消費財(BtoC)の意味的価値(第5章)』と『生産財(BtoB)の意味的価値(第6章)』は異なるとしたうえで、『消費財(BtoC)の意味的価値は、①自己表現価値と、②こだわり価値』であるとし、『生産財(BtoB)の意味的価値とは、①顧客企業の利益が高まる商品を提供し、②顧客企業の立場になりきり価値向上の提案すること』であるとします。
そして、消費財(BtoB)の意味的価値を生み出すためには、『顧客企業内部の経営プロセスを、顧客企業以上に知っていなくてはならない。』(176頁)『真に優れた企業は、顧客の現場に入り込み、顧客と同等かそれ以上に顧客の業務を知り、顧客が抱えている問題点を深く理解している。』(182頁)ことが必要だとしています。
その結果、生産財(BtoB)における意味的価値とは問題解決提案であるとし、具体的には、
一つには、顧客企業も気がついていない、しかも顧客企業の利益が高まる新たな顧客価値を提案することが必要とされる。顕在ニーズに対応するだけでは、機能的価値の創出しかできない場合が多い。
二つには、商品の機能だけでなく、その顧客価値を高めるためにも、顧客固有の問題を解決するソリューションを提供することが求められる。
さらに、三つ目として、特定の顧客にその価値を提供するだけではなく、普遍性を持った価値として多くの顧客へ展開しなくてはならない。(188頁)
としています。

延岡教授の指摘は正しいと思うのですが、法務知財的な観点からは、とても気になることがあります。
それは、このように顧客の現場に入り込んで顧客固有の問題を解決するソリューションの提供を行うためには、通常は秘密保持契約の締結が不可欠だと思います。
そして、おそらくそこで知り得た顧客情報に基づいて作り出されたソリューションは、秘密情報として保持しなければならない場合が多く、水平展開は秘密保持契約違反になるような気がします。

実際、本書では、『携帯電話の部品を多く供給している超優良な半導体企業の技術担当者が、「パナソニック、NEC、富士通など、携帯電話の端末製造会社と深く付き合っているので、すべての技術情報が集まります。だから携帯電話の技術について最も良く知っているのは弊社でしょう。」結果として、その企業は、個々の携帯電話製造企業に多くの提案をすることができる能力を蓄積している。』(190頁)という記述があります。
秘密保持契約の秘密情報の例外にあたるようなケース*2であれば良いのですが、秘密情報の例外にあたるようなケースかどうか判断をしているか疑問ですし、そもそも、こんなことをされては携帯電話製造企業としては、黙っていられないように思います*3
また、真面目な部品メーカーであれば、秘密保持契約違反になることをおそれて、顧客企業の現場に入り込んで得た情報に基づいて提案したソリューションを水平展開することをためらう気もします*4

それから、消費財(BtoB)の意味的価値を生み出すためには、『顧客企業内部の経営プロセスを、顧客企業以上に知っていなくてはならない。』(176頁)『真に優れた企業は、顧客の現場に入り込み、顧客と同等かそれ以上に顧客の業務を知り、顧客が抱えている問題点を深く理解している。』(182頁)ことが必要だという考え方では、日本国内はいいですが、日本国内で成功したビジネスモデルを海外で展開することは極めて難しいように思います。
何故なら、言葉も、文化も、価値観も違う国において、『顧客の現場に入り込み、顧客と同等かそれ以上に顧客の業務を知り、顧客が抱えている問題点を深く理解する』のは、至難の業だと思うからです*5
仮に可能性があるとすれば、海外の日系企業で、日本からの統制が十分行き届いており、かつ、それが効果を発揮しているような企業に対するビジネスであれば、このような提案型のコンサルティングビジネスも有効かもしれません。ただ、そのようなケースは非常に少なく、このような考え方では、海外展開で苦戦するように思います。

また、知財的な観点からは、第7章の『模倣されない組織能力を構築する』は、非常に参考になりました。
まず、延岡教授は、『模倣されない技術的な強みがあり、それを意味的価値も含めた大きな顧客価値に結びつける能力が備わってなければならない。』と言っています。
そして、模倣されない(されにくい)技術には、『革新技術』と『積み重ね技術』とがあり、『革新技術』とは、特許権が取得できるような革新性のある技術であり、『積み重ね技術』とは、技術者の経験値や問題解決能力の蓄積である、としたうえで*6、より重要なのは、特定の技術分野において企業に長年にわたり蓄積されてきた組織能力としての『積み重ね技術』であり、『積み重ね技術とは、組織に長年積み重ねられてきた技術的なノウハウ・経験知や、特定の技術分野における開発・設計能力および問題解決能力に支えられた技術である。』とします。

確かに、特許権として形式知化されてしまうと、(特許権という法的な強制力はあるにしても、実際問題としては)多くの場合、模倣が容易になるため*7、明細書にはできるだけノウハウは記載すべきでないと言われていますし、長年積み重ねてきた技術であれば、短期間に模倣することが非常に困難であることは容易に想像できます。
知的財産権による差別化というのは、ある意味、模倣できることを前提として、技術等を公開することによって得られる代償的な権利であり、いわば知的財産権は代替的な救済手段とも言えそうです。
従って、本質的なことから考えると、真似できないものを作りあげることが重要ということですね*8

<評価> ☆☆☆
(初めてMOTを学ぶ社会人向けの本として。)

<目次>
第1章 日本企業低迷の本質とは
第2章 価値づくりができなくなった日本企業
第3章 求められるのは独自性と顧客価値
第4章 意味的価値の論理で差をつける
第5章 消費財を強化する意味的価値
第6章 生産財の魅力を高める意味的価値
第7章 模倣されない組織能力を構築する
第8章 積み重ね技術のマネジメントで価値を獲得
終章 価値づくりに向けて



<脚注>
*1 本書の前半部分(第1章から第4章まで)は冗長な上に、論理の飛躍があり、どうかな?という内容ですが、後半部分(第5章から終章まで)は、MOTを初めて学ぶ人にも、それなりに実務経験を積んでいる人にも参考になるように思います。
*2 相手方から提供を受けた情報によらず、独自で開発した情報に該当するか微妙なケースがほとんどのような気がしますので、おそらく 秘密保持義務を負うことなくすでに保有している情報をどれだけ持てるか、そして、その立証ができる資料をどれだけ用意できるかが重要になってくるように思います。
*3私が、携帯電話製造企業の法務知財であれば、当然、水平展開については事前の承諾が必要という契約をします。
*4 このあたりのぎりぎりをついていく(いける)のが、その企業の法務力(契約力)なのかもしれませんが・・・。
*5 その国の言葉を話し、文化や価値観を理解しているその国の人々と、このようなアプローチでビジネス上の優位性を築くという方法は、少なくとも日本国内のようにはいかないように思います。だから、日本企業においても、多様性が重要、というのは一つの解なんだと思います。
*6 『革新技術』とは、特許権が取得できるような技術で、通常は、形式知の場合が多く、『積み重ね技術』とは、技術者の経験値や問題解決能力といったいわゆるノウハウに分類されるような技術で、通常は、暗黙知の場合が多い、と理解しました。
*7 IPDL(旧J-PlatPat)へのアクセスは、中韓からが7割という話を聞いたことがあります。
*8 デジタル時代の著作権法には、また、別の議論が必要な気がしましたが、この点は、また別の機会にでも。。。