今回は、本書の紹介というより契約の解釈に関するお話です。


本書の紹介は、後日。。。

突然ですが、私のかつての上司で、英語が非常に良くできて(ほぼネイティヴ並み)、英文契約の読解能力も作成能力も抜群の方がおりました。
もちろん、賢い方で、仕事も良くできる方でした。

ただ、契約書の解釈では、しばしばそのような解釈にはならないだろう、と思うことがあり、私と意見が合わないことがよくありました。一言でいうと、当事者の合理的意思解釈という解釈手法を知らないか、知っていたとしても知識として知っているに過ぎず実務で使いこなすという感じではありませんでした。
何故、契約書の解釈だけ、このようなことが起こるのか?と不思議に思っていたところ、樋口教授のアメリカ契約法[第2版]に次のような記述があり、納得しました。

それは、「おわりに」という章の長島安治弁護士の【契約解釈をめぐる不可思議】の部分(358頁)で、要約すると以下のとおりです。
『長島弁護士は、外国の弁護士、とりわけアメリカの弁護士との付き合いが深く、仕事以外でも付き合いがあり、気心の知れた友人もたくさんいました。
その長島弁護士が、専門の法律に関することで、どうしても理解できないことがありました。それは契約の解釈をめぐるアメリカの弁護士との考え方の違いでした。
具体的には、契約の1条項に「A、B、およびCの場合はXという効果をもたらす」という規定があった場合に、実際に生じたケースがDであり、しかもDの内容がA、B、Cと実質的に変わらないものであるとしたときに、Dについて契約条項を適用すべきか?という問題に対する考え方の違いです。

この場合、日本の弁護士は、Dに対しても契約条項を適用するのは当然だと考えます。
これに対して、アメリカの弁護士は、A、B、Cとしか書いていない契約でDを含ませることはできない、つまり、Dに対して契約条項を適用することはできないと考えます。
日本の弁護士もアメリカの弁護士も、お互いの弁護士が何故そのように考えるのか理解できないそうです。』

つまり、元上司と私との間で生じていた契約書の解釈に関する相違は、米国的な契約解釈に慣れ親しんでいるのか、それとも日本的な契約解釈に慣れ親しでいるのかという違いなのだなと、本書を読んで理解できました。

この件を踏まえての教訓。
今後は、 これまで以上に準拠法よりも裁判管轄を意識し、どのような解釈方法が取られるのかを念頭に置きながら、契約書のレビューと作成をして行く必要があると思っています。